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2006年11月23日

レミングの馬鹿

レミングの大量自殺って本当にあるのだろうか?もしくは野鼠の地走りというのが良く白土三平の漫画にでてきたけれど、どうして止められないのかと昔から不思議に思っていた。先頭で崖に気が付いて止めようとしても後から押されてできなかったのかなあ?なんて考えたり、人間でも戦争を止められないのは同じようなものだとか考えたこともある。
今日少しわかった気がする。人間の体は前に進むようにできていて、後退するのが苦手なのだ。後ろへ進むようにできていないのだ。もともと人間が歩く原理というのは前に倒れそうになるのを制御することにより歩行しているという。心理的にも同じ傾向がある。戦闘でも進むより退却することを決断する方が困難だと言う。もう少しで何とかなるだろうと、つい続けて引くタイミングを失してしまう。ギャンブルも全く同じ真理だろう。ビジネスや株取引でも同じだ。積極的に儲けていく時の判断より、損きりのタイミングを見計らうことが大事だという。
今日はその後に下がることの困難さを身をもって体験した。今までは何とか若い人に混じってテニスの練習について行ったつもりだったが、今日はとうとう駄目だった。前衛の体勢から後に下がりつつロブをスマッシュする。その余裕がないときはカットするという練習がメインだった。1時間20分の練習の後半腰が重たくなってきた。何とか最後までは続けたが、帰宅してからずーっと腰が痛む。勿論湿布もしたがしばらく続きそうだ。長々すいません。要するに無理して腰が痛いよ、というだけのことです。

2006年10月13日

眠れない夜

 丁度2年前の今頃だ。適当にその辺にあったトレーニングウェアを用意し、以前から持っていたプリンスのラケットを出してきた。ガットを張り替えた方が良いが、今日は取り合えずそのままで良いや。急いで着替えをしてテニススクールへ向かう。シューズは借りた。普段使いにスタンスミスを持っていたが、昔のタイプなのでクッションが薄めだし、インドアなので分ける必要がある。スクールで貸してくれたのを履いた。ラケットも貸出し用がいっぱい用意してあったが、グリップが馴染まないようで借りる気にならなかった。
 昔はラジオ体操が準備運動だったがストレッチングに変わっていて先ず戸惑った。腕をねじったり引っ張ったりが要領よくできない。見よう見まねでやるので、体を充分動かしきれなかったのが先ず敗因だった。忘れたと言うよりも初期にインプットされた動きになってしまい、球は打てるがコーチのいう通りに振りができなくて注意されっぱなしだった。僕が始めた頃はグリップはコンチネンタルと言って今のボレーと同じ中間の握り方で、ストロークもひたすら水平に維持して振り切ることを教えられた。ローズウォールの時代である。勿論若い人は知らないだろうけれど。現在はフォアは薄めに持って前上方に振りぬくように教える。久し振りでそれがなかなか出来なかった。
 疲れて帰って直ぐ昼寝してしまった。その夜は体中の筋肉が痛み始めた。特に肩の周りがひどく、痛みで眠れない。実は肉体的にだけでなく精神的にもダメージを受けていた。クラスは初心者から上級まで分かれていて、昔会社のクラブや仲間とやっていた経験から中級位には入れるだろうと思っていた。一度レッスンを受けてクラスを決めるということで初級クラスを受けたのだが、そのまま初級クラスに決まってしまいがっくり来ていたのだ。後になってみると進級もスムーズかつ早くて、凄いですねとフロントの女の子に誉められたりして、結果として良かったのだが、最初は本当に落胆した。そんなことをグズグズ考えたりして体も痛んだので一晩眠れなった。1日経っても痛みが取れず医者へ行き貼り薬をもらい、ストレッチングも習ってきた。それ以来毎日ストレッチングは欠かさないでいる。
  結局次の週まで痛みが残ったので、休んで色々と備えた。先ず形から。テニス用のウェアと最新のラケットを買いに行った。ラケットは昔と同じプリンスを選んだ。最初性能が分からない時やスペックに差がない時は、デザインで選ぶのがポリシー。白色のラケットはシャラポアとか女性のイメージだが、最初のラケットがフタバヤの「ブルーボレー」で白色にブルーのストライプというデザインだったので今でも白いラケットが好きだ。ネック部分に竹を使ったという特徴を持った素直で使いやすいラケットだった。後年その竹の素材感を生かした無塗装のデザインに変わっても使ったものだ。

ブルーボレー.jpg
昔のフタバヤカタログで表紙がブルーボレー

ウェアもプリンスに揃えた。シューズはカーペット専用がなく後回し。2週間後再スタート。やっぱり直ぐには思い通りに出来ない。当たり前か?会社を辞めて16年間テニスから離れていたのだ。体も劣化している中、まあ何とか走り回れるだけで良いと思おう。1ヶ月もするとレッスンにも慣れてきた。
しかし、昔始めた頃と比べると何と幸せな環境だろう。雨の日も風の日も寒い日も暑い日も関係なく、快適な室内環境でプレイできる。1年間半袖で良い。床はカーペットでクッションも良く、イレギュラーはしない、終わってからローラーをかけなくても良い、まして球拾いもしなくて済む。あの頃のひと月分の球数が1回のレッスンで打てる。イメージとプレイのギャップはまだ大きいが、再開することができて本当に嬉しい。

2006年10月05日

テニス始めました

 あー、とうとう休んでしまった。今日は夜の予定を2つともキャンセルしてしまった。理由はまだ言えない。結果が良い方に行ったら報告する。プライオリティが相当高い事項だったのだが、特に同窓会パーティーの委員会には申し訳ないことをしてしまった。参加できなくなってしまったので、M会長に上手く取り繕ってくれるよう電話をしたら、「えっ!今日なの?」というご返事で、結局美術学部担当者は誰も出席せずで、ごめんなさい。ここ1週間夜遅くまで準備してきた。そんな時に限って急な別件の訪問とそれに伴う依頼があって、間に挟み込んだ分だけ遅れてしまったのだ。お陰で倉庫だった部屋が幾分スタジオ風になってきた。
 もう1つは誰に迷惑をかけるわけではないが、自分の唯一の遊びとして極力休まないようにしてきたのだが、今日はやむ終えない。週に一回のテニススクールだ。大分昔の感覚が蘇ってきて、右手がむずむずしてきた頃なので残念。実は木曜日のブログはテニスを話題にしようと考えていたので、これを機会に実行しよう。丁度2年前に今のニッケテニススクールに通い始めた。会社を辞めてからテニスをする時間が取れず、適当な機会もない日々が続いた。20年前は毎日昼と夜の休憩時間と週に1回のコートでの練習と、暇があれば仲間とテニスをしていた。大体デザイン部のメンバーは最初に僕が引きずりこんだ。コートを借りて練習会を企画していたのだ。そんな日々に比べ独立後の16年間は家で、たまに壁打ちをした程度だった。だから良く夢に見た。浅い球をアプローチショットして前へ出て行く、あの一番胸が密かに高鳴る瞬間の場面がいつも出てきた。

tennis.jpg
現在使用中のラケット=古いプリンス

 きっかけは日進に新しくテニススクールができたことだった。工事中から気になって、直ぐ資料をもらってきた。長女にも見せ、彼女は直ぐ始めた。僕は直ぐには始められないタイミングだったので、1年後にやっと申し込むことにした。決めたら善は急げ!日曜日のお昼に申し込み、直ぐに適当なトレーナーに着替えて午後のクラスに参加したのが再びの始まりだった。しかし・・・